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歴史 - 熊野古道・和歌山県広川町について
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歴史の道 熊野古道とは、神のこもる国として信じられた熊野の那智・速玉・本宮の三社をめざして、いにしえ人がたどった道です。紀伊路屋はその熊野古道、井関王子沿いに位置します。これよりさきは河瀬王子、馬留王子、鹿ヶ瀬峠(熊野古路で最大の難所の一つ)へと続きます。 |
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紀伊路屋より山道を登った山頂近くに「霊巌寺」があります。ここは南北朝時代、円勝法師が本尊観世音像を祀り栄えました。当時は立派な諸堂があったとされますが、豊臣秀吉の兵火でほぼ消失しました。
現在では全国でも珍しい座像の不動尊・唐立不動明王が岩場に安置されていいます。 |
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また、この地に功績を残し、後に初代駅逓頭(現郵政大臣)、明治12年(1879)には和歌山県議会初代議長も務め政治の面でも力を尽くした浜口 梧陵という偉人も輩出しています。この浜口梧陵は、安政元年(1854)広川町(旧広村)に大津波が押し寄せた時、刈り取ったばかりの稲むら(稲束を積み重ねたもの)に火を放ち村人を救いました。 |
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この津波の後、梧陵は有志とともに巨額の私財を投じ、長さ637m、高さ4.5mの大堤防「広村堤防」も完成さています。この三段構えの堤防は全国でも例がなく、昭和13年(1938)、翁の墓碑とともに国の史跡に指定されました。さらに梧陵はヤマサ醤油を営む実業家でしたが、県下初の私塾を開設し、これが後に[耐久舎」と呼ばれ現在の耐久中学校になりました。
毎年11月3日には梧陵の偉業を称え、100年余り続く[津波祭」が開催されています。 |
紀伊路屋の“素材・加工・味”のこだわり
紀伊路屋は、和歌山県有田郡の温暖な気候を活かしたおいし〜い旬の農産物を新鮮なまま加工し、素材が持つ本来の味をそのままを楽しんでいただきたいと考え、農産物作りから一貫した、妥協を許さないこだわりの物作り精神を大切に商品をご提供しています。それぞれの果実が持つ特性を活かし、マーマレードをはじめジャム・果汁、ジュースなど製造工場での加工にも様々な方法を採用しています。例えば、マーマレードやジャムなどは、旬の素材の味を引き立てるために、余計な物は極力加えず、また果汁やジュースは柑橘を外皮ごと搾らないで、中身の美味しさだけを抽出する「インライン方式」を採用するなど、その製法にもこだわりがあります。農園づくりをしているからこそ出せる、新鮮で安心のフルーツ製品の数々。ぜひ一度ご賞味ください。
(農産物には有機物主体の肥料に加え、地元特産「稲村の塩」(参考:左写真)の天然にがりを使用しています。) |
長谷農園の発祥〜紀伊路屋ブランドの立ち上げ
〜1990年 |
和歌山県有田郡広川町でみかん農家として3代目になる現在の長谷農園は、その昔は米、養蚕を営んでいました。先代よりみかん栽培をはじめ1990年、共同撰出荷より個人共販での市場出荷をおこなっております。 |
2004年 |
個人共販での市場出荷より有田エコ部会に入会し、プライベートブランドの生産を開始。 |
2005年 |
みかん栽培に加え、多品種、多品目の農作物を生産。 |
2010年〜 |
農産物を活かした商品を販売する紀伊路屋ブランドを始動。
大量生産、大量販売をするメーカーではありませんが、お客様お一人おひとりの手に届く商品を丁寧に、ていねいに作る、家族で運営する地元ブランドです。 |
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